国立大入試廃止運動
国立大入試ハイ止運動
元ニューヨーク州立大学コンピューター科 
講師 中村 文則

今日はみなさん。私は以前ニューヨーク州立大学でコンピュータサイエンスを教えていました中村文則というものです。今、故郷広島で入試廃止運動を行っています。

アメリカの大学、私の体験
私は、広島修道大学を卒業した後、渡米し、南イリノイ州立大学、ニューヨーク州立大学院に学びました。
初めて南イリノイ州立大学に行ったころ、入学のための英語検定試験がありました。私は、航空学部に入学を希望していましたが、点数が達せず入学許可事務所のほうで航空学部には入学でいないと言われました。私は、落胆しましたが最後に「学部長に会いに行ってくる。」と決意し、自転車に乗って大平原のなか州道から分岐した一本道を航空学部へと向かったのでした。小雪まじりの寒風の吹きつける、寒いクリスマスイブの日でありました。学部に着き、秘書に話をして学部長の部屋に通されました。「自転車で来たのか。寒かったろう。コーヒー飲むか。」と言われました。私は、片言の英語で「一教科で良いですから授業を受けさせたください。」と言ったのです。学部長は、じっと私の差し出した書類を見ておられました。そして『これを持って入学許可事務所に行きなさい。そして来学期から来なさい。』と手紙を書いてくれたのです。私は、感激してその手紙を受け取り学部を後にしました。途中立ち止まり振り向いて、小さくなった航空学部のビルを見ながら「アメリカとは何とすばらしい国か。本当にアメリカに来て良かった。」と思ったのです。それは、あたかも広島大学工学部受験に失敗した学生が、直接学部長に会いに行き、熱意を認められて入学を許可されるという様なことで、そんな事は日本の大学では絶対に考えられないことです。まず会ってくれないでしょう。これを人間味の有る愛情の教育と思うのです。

私は、二十年あまりのアメリカ生活において、あるときは学生として、あるときは先生として、アメリカの教育をつぶさに見てまいりました。学問を志す者にはなんどでもチャンスを与えてくれる、努力する者には手を差し伸べてくれる、人間味にあふれたすばらしい教育を体験してきました。このすばらしい教育を、何とか少しでも日本の若者にも体験していただきたいと思います。

高い税金を納めてどうして子供を国立大学へやれなのか
皆さんは、毎年、高い税金を納めていながら、どうして自分の子供や孫を国立大学へ行かせることができないのか疑問を持たれたことはないですか。国立大学は我々の税金で成り立っています。しかも多くの学生は遊んで卒業する。それなのにどうして入試を行う必要があるのでしょう。また、今の受験システムでは、小学校の時から塾通いをした子供しか国立大学に行くことはできません。これではまさに金持ちの家に生まれた子供しか大学教育を受けるチャンスが無く、生まれたときからすでに差があるということになります。貧富の差を問わず、すべての若者に平等に大学教育のチャンスを与えるべきであります。小中高校を通じて人間教育をする。社会自習なども取り入れるべきでしょう。そして無試験で国立大学へ入学させ、米国で行っているように本当の意味での大きく学ぶ教育をつけるべきです。国立大学は我々の税金でやっている。我々の子供を行かせて当然であります。
今の受験システムでは、小さいころから人間に必要な生活体験もせず、記憶力と受験技術ばかりを磨いて大学に入学するわけですが、入った大学はどう言う状態かというと「教えることはほどほどにして研究せよ」とか「出来ない者には関るな」とか言っているのです。これは間違いです。日本の将来は若者にかかっている。ほたらかしにしたら学生は遊びます。しっかりと導いてやらないと行けない。
さらに申しますと、日本人で戦前戦後を通じてノーベル賞を受賞した科学者は、たった7人です。アメリカには何百の数でノーベル賞科学者がいます。また、大学の物理・化学・生物・数学などの教科書を開いてみても、日本人の名前が出てくることはほとんどありません。寡聞ですが、私の記憶では物理の教科書に『湯川博士が中間子論をやった』とただ一ケ所、出てきます。それだけであります。これが我が国が、戦前戦後を通じてやってきた受験戦争の成果です。この事を含めて、受験戦争は無意味だと私は言っているのです。国立大学は、我々の税金でやっているのですから全員入学させて、立派な教育をつけないといけない。

アメリカの大学のシステム
アメリカでは、入試は有りません。ハーバード大学でも入試は行っておりません。もちろん学習塾など有りません。子供達は、塾通いも無く、入試のプレッシャーも無く、明るく健やかに育っております。イジメや不登校が問題になったことは一度も聞いたことがありません。
アメリカの高校生は、スポーツをやったり社会活動をやりながら、人間性豊かに自由奔放に暮らしております。高校を卒業すれば、家から出て独立して生活し始めます。自分で銀行ローン(学生のための政府保証無担保ローン)を組んで、授業料を支払ってアルバイトをしながら生活費を稼いで大学へ進学します。高等学校までは、教育費はすべて無料です。だから、子供が10人いて全員大学まで行かせても、教育費がかかることはありません。学生のほうも、大学を卒業するころには、精神面でも立派な大人に成長していきます。
アメリカの大学では、卒業までに40冊密に勉強します。それゆえ、大卒と高卒では、おのずと能力に差が出来るわけで、大学を卒業すれば、より給料の高い正規の職が与えられるわけです。ですから、卒業証書はアメリカでは大きな意味があるわけです。それに比べ、日本の大学生の多くは、二十歳前後と言う人生何をやっても一番身につくときに遊んで過しております。小学校の時から塾通いをし、入試入試と心がひね曲がるほど受験勉強をやって、やっと入った大学では、今度は遊んで過す。高い授業料を支払って4年間遊んで過しております。こんなバカなシステムが有りますか。いったい、いつまで入試入試といってこんなことを続けるのでしょう。
アメリカの大学では、中学や高校の復習のクラスも用意されています。ですから、学生に限らず何年も教室から遠ざっかていた一般社会人や老人でも、学問を再開できるわけです。そのために、夜間や週末さかんに授業が行われています。人々は、就職後も大学へ通ってよりたかい知識や資格また新技術(コンピュータ等)を修得し、新しい職場へと向かって行きます。
アメリカには、専門学校はありません。専門学校で行なっている事はすべて州立の短期大学でおこなっています。そのために、高等学校があるがごとく、いたるところに州立の短期大学やそれに準ずる公共の教育施設が整っています。たとえば、ハワイのホノルル市の周辺には5つ州立の短期大学があります。グアム島にさえ、米国は、島民の教育と職業訓練を目的とした公立の短期大学をつくっております。それらの短期大学を卒業した学生は、カリフォルニア大学等の主要大学へ転入していきます

日本の大学とアメリカの大学を比較した場合一番違うところは何かというと、それは教科書だと思います。日本の教科書はわかる人が予習復習をし、授業にまじめに主席して初めて解る教科書です。それに比べて、アメリカの教科書はわからない人が、一人で読んで解るようにということを基本にして、懇切丁寧に書いてあります。だから、だれが読んでも良くわかるわけです。また、図書館に行けば自分のレベルにあった本が何冊も本棚においてあります。だから、アメリカの大学では、どの分野でも何も知らない者が一から始めて大学院博士課程まで独学ができるシステムになっています。こうしたすばらしいシステムを是非日本にも取り入れるべきだと思います。

国立大学は、入試を廃止すべきです。そうすれば、塾通いもなくなり、子供達をもっと明るく、もっと伸び伸びと育ててやることが出来ます。そうすれば、イジメや不登校も無くなります。国立大学は、われわれの税金で成り立っているのですから、アメリカの大学のように、だれでも行って自由に勉強できる庶民のための庶民の教育の場にすべきです。フリーターをやってその日暮らしをしている若者達にも、大学教育の道を開いてやるべきです。ニートの若者にも大学教育のチャンスを与えてやるべきです。また、一般国民の知識が向上することは社会の安定と繁栄につながり、どんなにすばらしい国が形成されるかわかりません。

『国家百年の体系は教育に有り』と言います。豊かな国造りの基盤は、小中高校を通じての人間教育と、真に大きく学ぶ大学教育であります。そのためには、まず弊害ばかりの入試制度を廃止しなければいけないと確信するところです。

お願い
このホームペイジを、あなたの知り合いの方々に送っください。入試廃止運動を日本全国に広めていきましょう。
このホームページのアドレスは : http://www.nyushi.jp/