チェンジ JAPAN
新しい 日本 作ろう
[ 写 真 ] ニューヨークに いた頃の 文さん。 Happy days in New York.(ハッピーな 日々、ニューヨーク) あの頃は、“ Professor 文 ”(プロフェッサー 文: 文 せんせい )と 呼ばれて、 学生に人気が有った。 慕われた。
文ソクの知り合いに、幼児・児童教育のスペシャリストが居た。その教授が、アフリカへ、半年、調査に行かれた。そして、「 現地で収集した民芸品等、見せるから シャトウ(お城)へ 来い。」と、 連絡が有った。 シャトウと言うのは、 大学の近くに有った その教授のオフィースです。 それで マア、、、アフリカの話を聞きに、みんなで 彼の“お城”へ行った訳です。 そして、ワイワイと雑談している時に、その先生が、「 文ソク、こっち向け。」と言って 撮ったのが、 この写真です。
あの頃は、自信満々。 「 ワシに “ 出来ない ” と 言う物は無い。 “ 飛べ ” と言われれば、 空でも飛んでやる。」と そんな感じで、 エネルギーの 塊だった。 飛翔(とぶ)が如く。。。 で あった。 「 日本に帰って、 日本の国を 変えるん じゃ、 “ ルネサンス ” を やるん じゃ。。。 」
ニューヨークと言う所は、エエ所では、一つも無かった。 冬は寒いし 雪は降るし。 寒くて どんより曇った日は 長く続くし。 その意味では、広島の方が よっぽどエエ所です。 冬と言っても、暖かくて晴天が続く。 瀬戸内の小魚は旨いし、 たこの刺身は食えるし、 冬になれば、何と言っても、あの大粒の “ かき ” が食える。 広島と言う所は エエ所ですョ。 それに 比べて、 私の ニューヨークの “ 冬の 思い出 ” と言ったら、「 寒かった」 とか、「 雪掻きした」 とか、そんな事しか 頭に浮かんで来ません。
[ 写 真 ] ニューヨーク州の州都は、アルバニー と言う都市です。 その近郊で撮った写真。 昼食の後、レストランの前で、「 寒いぃぃ、、、 早よぅ、 早よぅ 。。。 」と言う中、 友達が 自動車の中からとった写真。 文ソクの後ろに ずらっと 白く突っ立ているのは、白樺の木。 向こうに 家が見える。 左の小さい方が、おそらく、物置とガレージ。 あの家は、日本に感覚からは、大きな家です。 チムニー(煙突)から、煙~が出ている。
ところが、 ニューヨークは、ほかとは、全々 違った ところが有りました。 ニューヨークでしか、“ ここでしか、ありえない ” と言う事が 有りました。 それは、 人 です。 私は、ニューヨークに居て、多種多様な人に 遭遇しました。 知り合いに なりました。 例えば、ある時、用事で、友達と一緒に マサチューセッツ( ニューヨークの上方に有る州)に 向って 車を走らせておりました。 そしたら、彼女が「 自分の友人が、この近くの町に住んでいる。 だから、 昼食はそこで取ろう。」と言う事で、高速道路から降りて、小さな町に入って行きました。 彼女の友人と言うのは、六十歳ぐらいの人でした。 彼は、以前は、ペンタゴン( 米 国防総省)で、原子力潜水艦を含めた 米国 北大西洋艦隊の 作戦行動を担当していた、退役した海軍少将だった。( 少将と言うのは、大将、中将 の 直ぐ下で、海軍の中では、一番 偉い人の部類です。) 又、ある時、私のクラスに、七十歳ぐらいの人が おられました。 話を聞くと、彼は、カナダの心臓外科医で ありました。そして、彼は、カナダで 一番最初に 心臓移植手術を成功させた医師だった。 カナダの心臓外科の パイオニアだった。 その、彼が言うには、「 自分は、子供の頃から、ハイスクール(中学・高校)の サイエンス(科学)の テーチャー(先生) のなるのが夢だった。」そうで、教育学を専攻して おられた。 そして、卒業されて、ハイスクールの テーチャー になって行かれた。 大学で、先生をしていたと言う事が有るせよ、とにかく、私は、ニューヨークで、色々な人に 遭遇しました。 そして、ニューヨークだったから こそ、あんな事が有ったんだろうと、 私は、思っています。
ニューヨークの上方には、ボストンと言う町が有ります。 そこも、ニューヨークと並んで、アメリカ建国以来の 古い町です。 そして、ニューヨークから ボストンに かけての あの地域に こそ、 やはり、「 アメリカの建国以来の 伝統文化と言うか 知識と言うか、 そんなものが 凝縮された 何かが有る。」と、 その様に、 私には、 感じられました。 ニューヨークや ボストンの 町を歩いていて、ふと、何の気なしに、 通り掛かった 古い 何の変哲も無いビルの中に 入って行った時、 ハット する様な 彫刻 芸術作品に出くわしたり、 又、 「 これは、 一体、、、 何じゃ。」と 言う様な、 そんな ドキッとする様な 物事に遭遇(そうぐう)した と、、、 そんな事が、 時折りありました。 私は、用事で、カリフォルニアや フロリダ、 そして テキサス 等へ 行く事が有りました。 又、ハワイ大学に居て、ホノルル市に 滞在していた事も 有りました。 しかし、どの地域に行っても、ビルの中へ入って行って、 ドッキリと した と言う事は、一度も有りませんでした。
( ニューヨーク ・ イズ ・ ザ ・ グレイト ・ シテー : ニューヨーク は、 偉大な町 )と、 人々は, 親しみを込めて 呼びます。 日本の国は、2000年の歴史 ( アメリカ国の十倍の歴史)を はぐくむ 国です。 その中で、その首都 東京は、残念ながら The Great City ( 偉大な町 ) とは、人々は 呼びません。
少し、 話しが 横道へ それて行きました。 これからは、 又、 「 ワシの 話を聞いてくれ~~ 。。。 」と言って、 文ソクの話を、聞いてやって下さい。 -------------
日本 の ルネサンス
[ 解 説 ] 昔、ニューヨークにいた頃、大学のカフェテリアの一角に、先生方がたむろする場所が有りました。 そこには、円形テーブルが置いてあり、そこで、先生方は、朝、軽食を取りコーヒーを飲む訳です。 大学の先生と言うのは、普通の人ではない。 みんな知識人で、じぶん専門分野だけではなく、いろんな方面に亘(わた)って広い知識を持っております。 中には、変クーがおり 堅物が居るわけです。 そういう連中が、毎朝、丸いテーブルに座ってコーヒーを飲みながら、ワイワイやる訳です。 ある先生が、「我々は、毎朝、互いに “ブル・シット・インジェクシオン”(牛・くそ・注射) を打ち合っているんだ。」と、正に 正に、面白く、ぴったりな表現をされた事が有りました。
文ソクは、まだ30代の頃で若かった。 朝、コーヒーとベーグル(トーストしたドーナッツ状のパン)を持て その丸いテーブルに座るやいなや、年配の教授連中からその“ブル・シット・インジェクシオン”を打ち込まれた訳です。 そんな中で、文ソクは、先生方に「日本では、入試と言って、こんなバカな事をやっているんだ。」と話しておりました。 そして、「ワシは、日本に帰って、入試廃止運動をやるんじゃ。 子供達の為に みんなの為にやってやるんじゃ。 アメリカの大学教育を日本にもってかえるんじゃ。。。 」と熱弁を振るっておりました。 そしたら、ある先生が、「そう言うのを ルネサンスと言うんョ。 お前は、ルネサンス・マンじゃ。」と解説された。 「フムフム、、 エエじゃないか。。 ワシが、ルネサンス・マンか。」と思った訳です。 それで、ここに、その当時、あの丸テーブルで先生方に “かの注射” を 打ち込まれ ながら 話していた事を かいつまんで書きます。 ------------
入試廃止運動をやろうと思う様になったのは30代後半のころで、そのころはニューヨークにいました。夜、自分のオフィースで、このアメリカの教育制度を持ち帰って、子供達の為に。。。と思っていました。それと同時に、入試が無くなったらどうなるか?と言う事も、チラッと頭に浮かんだ。 入試が無くなれば、 東京大学は無くなる。 東京大学卒業の官僚はいなくなる。 官僚制度は崩壊する。 そんな事が、チラッと頭を横切って行きました。当時は、バブルの絶頂期で、日本は花見気分。官僚制度のことなど、誰も気にするものはいませんでした。話題にもならなかった。
文ソクがチラっと思った「入試が無くなれば官僚制度は崩壊する」事など、まったく、誰も、眼中にも視野にもなかった。ところが今は違う。状況が激変しました。日本経済は大きく傾き、官僚の腐敗が再三取り上げられるようになりました。文ソクがチラッと思ったことが、現実味を帯びてきました。
“大政奉還 ” と言うのが有りました。 徳川幕府が政権を天皇に返した時です。それから、明治維新が有って、権力が武士から官僚へと移っていきました。維新とは言っても、武士の支配から官僚の支配へと移って行っただけの事で、中央集権的、支配体制は何も変わらなかった。維新以来、東京大学を中心とした官僚支配体制が形成され、今日では、日本の国の津々浦々まで張り巡らされています。 たとえば、広島県警本部長は、ある日突然、東京から辞令をもらってやって来る。江戸時代と変わらない。その官僚体制の根底に有るのは入試です。入試が無くなれば、官僚制度は崩壊する。中央集権支配は終わるわけです。過去2000年来、大和朝廷、聖徳太子の時代から続いてきた、日本国を支配してきた中央集権が終わる事になります。そんな事を、文ソクは、心の奥底にチラッと思いながら、一人で自転車を押して歩いております。しかし、それは文ソクがやろうとしている入試廃止と言う事に付随して起こることで、それを主目標にしてやって来たわけではありません。もちろん、天地を揺るがす大事件、日本国が初めて体験する革命と言う事になるけれども。
「入試を廃止して、子供を子供として育ててやる、そして大学に入ったら、今度は一生懸命勉強する。」それが、文ソクがやっている入試廃止運動と言う事だけど、それは表面的な事で、その奥に重要な事がある。それを、文ソクは、ニューヨークにいたころ、心に画いておりました。それは、人間性復活 ルネサンスです。
アメリカの大学は、学生の学びの館であると同時に、一般市民の教育と文化向上の場になっています。 一般市民が大学に集い、いろいろな活動をしています。 ハワイ大学に行けば、学生センターに市民向けの掲示板が有り、そこには、来月開かれる講座や行事が多数掲載されています。 例を紹介すれば:
・ダンス (ハワイアン タヒチ サンバ 社交ダンス 等)
・陶芸
・園芸
・料理(いろいろな国の料理を紹介している。 料理教室が開かれる。)
・スポーツ (スクーバ・ダイビング サーフィン ゴルフ テニス 等)
・星座観賞 (夕方集まって、マイクロバスで野外へ行き、天文学の教授の指導の下、星座を見る。)
・政治 (夕方大講堂に集まって、マスコミでは報道されない事実を介する。例えば、CIAが、中東で行っている悪事を暴露る。そして、それに関しての討論会が行われる。)
・音楽 (ピアノが置いてある防音された部屋が数多く有り、そこはいつでも誰でも自由に利用できる。又、初心者の為の、ピノ入門のクラスが用意されている。)
等など、、、数多くのイベント行事や講座が、学生と共に、一般市民向けに提供されている。
日本の国は、四面を海に囲まれ、四季折々の花が咲き、、、本当に自然豊かな国です。そして、2000年の歴史と文化を誇る国です。そして、何よりもまして、日本民族と言って、こんな素晴らしい民族の 住む国です。
大学 = 文化の泉
この国に必要なのは、開かれた大学 です。
一般市民が大学(文化の泉)に集い、 いろいろな行事に参加し、 学問をし、 教養を高め、 新しい文化を育(はぐく)んで行く。 老若男女が大学(文化の泉)に集い、 大学が市民の生活の一部になり、 大学(文化の泉)を中心にして社会が動いて行く。。。 そう言う日本国にしたい。そう言う、21世紀の日本国にしたい。。。 それが、私の究極の目標です。
“ 人間性復活 ルネサンス ” です。
若者の諸君、中学生 高校生のみなさん。
文ソクが一人で始めた この入試廃止・人間教育の運動を ぜひ 完成させて行って下さい。 そして、あなた方の手で、 21世紀に向かって “ 人間性復活: ルネサンス 日本”を実現させて行って下さい。 日本が変われば、アジアが変わって行きます。
アジア全体に、 “ ルネサンス ” を広めて行って下さい。
その出発点になるのは、、、
この “ クレイジーな入試制度 ” をブチ破る事です。
トップ・ページ 5. 少子化対策: の中に、アメリカの高校生の“生活ぶり”を書いております。 ぜひ参照してみて下さい。
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