チェンジ JAPAN
新しい 日本 作ろう
[ 写 真: “ 運は天に有り。 我、行かん。。。 ” ]
衆議院選挙(平成19年8月)の“いで立ち”。 真夏の猛暑の中、朝8時から夕暮れ時まで、自転車を押して演説して回った。 とにかく暑かった。 汗と ほこりと 日焼け止めで、体力の限りを尽くした選挙だった。 マスコミは、“手作り選挙”と評したけど、、、「ワシのは、ほんまの選挙。 何の利益グループも 支持団体も付けづ、ただ ひたすら自分の主義主張を民衆に訴えて、一人で選挙に打って出る。 これこそ、ほんまの民主主義の選挙。 言わば言え、笑わば笑え。。。 」であった。 選挙になれば、文ソクの様な者が、日本全国から、どんどん立候補して、来なければいけません。 その為には、三百万円の供託金制度(民主主義を否定した制度)を廃止しなければいけません。(詳しくは、トップページ “4. 傾く日本” を、見て下さい。)
選挙に出るというのは、ニューヨークに居た頃から、私の心に有った事です。だから、今日 昨日、 思いついて選挙に出た訳では有りません。 国会に出て、中村党を結成して、日本の国を変えて行こうと、夢を描いておりました。 選挙の時に、道行く行く人に 「中村さん、アンタのやっている事は、この国には 百年早いんです。。。 」と言われた。 「 なあ~~に、、、 物事を始めると言うのは、こんなもんョ。。。 」 大政奉還の時も、一番最初に始めた人間がいる。ところが、彼らは、皆、“安政の大獄”で首をはねられた。 初めの頃は、大政奉還と言って、そんな事が出来るとは、誰も思っていなかった。 文ソクの入試廃止運動も同じ。「 国立大学を含めて、入試を全廃する。 東京大学も、入試を廃止するんじゃ。」 ----- 「 ムリ ムリ ムリ じゃ、、、 そんな事は、絶対 出来ん。」と人々は言います。 初めは、何でも こんなもんです。
H君と言う若者がやって来て、「中村さんを主題としたドキュメンタリーを作らせて下さい。」と言う。 「OK、 あんたが、思うように 自由につくりんさい。---- 」 この様な若者が、いずれ、市川 こん監督(前回の東京オリンピックのドキュメンタリーを作った人)の様になるのか。。。 と思った。 文ソクは、教育者。 「みんなの為に、若者達の為にである。」 この写真は、その彼が撮ってくれた一枚。 その日々の雰囲気が、良く表れている。
「がんばれ文先生」の ロゴ・マーク ----- このロゴ・マークの意味する所は、「文ソクさんは、過激派では有りませんよ。」と言っている訳です。何しろ、顔を背けて通り過ぎて行く人が、時折居たからです。こう書けば、まさか 過激派とは、思わない だろう と考えたからです。 その時に、自転車の前のハートも取り付けました。 傑作な自転車ではあるョ。
[ 概要 ] 入試を廃止して、アメリカの大学教育を日本に持って帰る事、これが、私のメイン・テーマです。このページには、次の項目が書かれて有ります。
2. 私が作ったチラシの事
3. アメリカの短期大学の制度
4. 若者を切り捨てる社会が どうなる ―― 以下が含まれています:
[2] サービス残業の無いアメリカ:
[3] アルバイトをするアメリカの正社員達:
[4] 労働者に開かれたアメリカの大学:
[ 解 説 ] このホームページを読んでおられる人の中には、大学へ行かれたことのない方が、多数おられると思います。それで、ここに、大学の事について、少し述べておきます。-----
[1] 大学 ---- 誰でも行ける所: 大学は、英語では、university(ユニヴァーシテー)と言います。それは、全ての事、題目、と言う意味です。即ち、「大学は、人間社会に有る全ての事を 執(と)り扱っている所だ。」と言う意味です。だから、テレビゲーム学やパチンコ学が有っても良い訳です。何しろ、あれだけ皆が熱中してやるんだから。 アメリカの大学には、レジャー学と言うのが有ります。レジャーを勉強する訳です。大学院博士課程まで有ります。
[ 解 説 ] 下記の文面は、ホームページ用にすこし手を加えてありますが、私が初めて作ったチラシです。もう20年も前の話です。その頃は、まだ、あの自転車も有りませんでした。休暇で広島に帰って来る度に、このチラシを持て、友達界隈(かいわい)や町内の人達に話をしておりました。商店や銀行など訪れたときは、必ず最後には「このチラシを読んで見て下さい。」と言って置いて帰る、と、そんな風だった。
それでも、ほとんどの人は、感心を持たなかった。「入試を廃止する?? 国立大学も含めて入試を廃止する?? そりゃムリじゃ、、出来ん 出来ん。。。」 町に出て、このチラシを配ろうとした事も有りました。しかし、誰も受け取ってくれなかった。ある人から、「中村さん、あんたは修道大学の卒業生じゃ、、修道大学へ行って配ったらエエじゃないか。。」と言われました。Good Idea(良いアイデア)!! 私は、画(かく)して、卒業以来始めて母校を訪れました。校門の前に立って、登校してくる学生にチラシを配ろうとしました。しかし、もちろん“全く不慣れであった”と言う事は有るにせよ、半日やって、たった四枚しか配る事は出来なかった。その人から
「中村さん、このチラシの価値が分からないんです。猫に小判なんですよ。」と励(はげ)まされた事も有りました。
あの頃は、やってもやっても、、、何の反応も無い。まるで“ぬかに釘を打つ”様な、そんな感じだった。「今度は読んでくれるだろう」と思って、何度も書き直し、書き直して作ったチラシも、ほとんど読まれる事は有りませんでした。それでも、文ソクは若かった。
「クソーー、今に見とれ、、ワシがこの国を変えてやる。入試を廃止するんじゃ。
入試と言って、こんなバカな事は、もう一切やめるんじゃ。。。
アメリカの大学教育を持って帰るんじゃ。この国に、種を植え付けるんじゃ。」
と、エネルギーの塊だった。 -----
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元 ニューヨーク州立大学コンピュータ科 講師 中村 文則
今日はみなさん。 私は以前ニューヨーク州立大学でコンピュータサイエンスを教えていました中村文則というものです。今、故郷広島で入試廃止運動を行っています。
アメリカの大学、私の体験:
私は、広島修道大学を卒業した後、渡米し、南イリノイ州立大学、ニューヨーク州立大学院に学びました。 初めて南イリノイ州立大学に行ったころ、入学のための英語検定試験がありました。私は、航空学部に入学を希望していましたが、点数が達せず入学許可事務所のほうで航空学部には入学でいないと言われました。 私は、落胆しましたが最後に 「 学部長に会いに行ってくる。」と決意し、自転車に乗って大平原のなか、州道から分岐した一本道を航空学部へと向かったのでした。 小雪まじりの寒風の吹きつける、寒いクリスマスイブの日でありました。 学部に着き、秘書に話をして学部長の部屋に通されました。 「 自転車で来たのか。寒かったろう。コーヒー飲むか。」と言われました。 私は、片言の英語で 「 一教科で良いですから授業を受けさせたください。」と言ったのです。 学部長は、じっと私の差し出した書類を見ておられました。 そして 「 これを持って入学許可事務所に行きなさい。そして来学期から来なさい。」と手紙を書いて くれたのです。 私は、感激してその手紙を受け取り学部を後にしました。 途中立ち止まり振り向いて、小さくなった航空学部のビルを見ながら 「 アメリカとは何とすばらしい国か。本当にアメリカに来て良かった。」と思ったのです。 それは、あたかも、広島大学工学部の受験に失敗した学生が、直接学部長に会いに行き、熱意を認められて入学を許可されると言う 様なことで、そんな事は、日本の大学では絶対に考えられないことです。 まず会ってくれないでしょう。 これを人間味の有る愛情の教育と思うのです。
私は、二十年あまりのアメリカ生活において、あるときは学生として、 又、あるときは先生として、アメリカの教育をつぶさに見てまいりました。 「 学問を志す者には、何度でもチャンスを与えてくれる。 努力する者には、手を差し伸べてくれる。」 人間味にあふれた すばらしい教育を体験して来ました。このすばらしい教育を、何とか少しでも日本の若者にも体験していただきたいと思います。
高い税金を納めてどうして子供を国立大学へやれなのか:
皆さんは、毎年、高い税金を納めていながら、どうして自分の子供や孫を国立大学へ行かせることができないのか疑問を持たれたことはないですか。 国立大学は我々の税金で成り立っています。 しかも、多くの学生は遊んで卒業する。 それなのに、どうして入試を行う必要があるのでしょう。 また、今の受験システムでは、小学校の時から塾通いをした子供しか国立大学に行くことはできません。これではまさに金持ちの家に生まれた子供しか大学教育を受けるチャンスが無く、生まれた時からすでに差があると言うことになります。 貧富の差を問わず、すべての若者に平等に大学教育のチャンスを与えるべきで あります。 小中高校を通じて人間教育をする。社会自習なども取り入れるべきでしょう。 そして、無試験で国立大学へ入学させて、米国で行っているように 本当の意味での大きく学ぶ教育をつけるべきです。 国立大学は我々の税金でやっている。我々の子供を行かせて当然であります。
今の受験システムでは、小さいころから人間に必要な生活体験もせず、記憶力と受験技術ばかりを磨(みが)いて大学に入学するわけですが、入った大学は どう言う状態かというと 「 教えることは ほどほどに して研究せよ」とか 「 出来ない者には関るな」とか言っているのです。 これは間違いです。日本の将来は若者にかかっている。ほたらかし にしたら学生は遊びます。しっかりと導いて やらないと行けない。
さらに申しますと、日本人で戦前戦後を通じてノーベル賞を受賞した科学者は、たった16人(2012年まで)です。 アメリカには何百の数でノーベル賞科学者がいます。 また、大学の物理・化学・生物・数学などの教科書を開いてみても、日本人の名前が出てくることはほとんどありません。 寡聞(かぶん)ですが、私の記憶では物理の教科書に『湯川博士が中間子論をやった』とただ一ケ所、出てきます。それだけであります。これが我が国が、戦前戦後を通じてやってきた受験戦争の成果です。この事を含めて、受験戦争は無意味だと私は言っているのです。 国立大学は、我々の税金でやっているのですから、 大学教育を受けたい者は 全員入学させて、立派な教育をつけないと いけない。
アメリカの大学のシステム
[1] 高校を卒業するまでは教育は無料: アメリカでは、保育園から高等学校を卒業するまで、教育は、教科書や スクール・バス を含めて、全て無料です。 大学は、子供の自己責任で進学します。学生の為に用意された銀行ローン( 無担保・無保証: 合衆国政府が保証人となる。 親が保証人になる事は無い。)を利用して授業料を支払い、アルバイトをしながら生活費を稼いで、大学へ通います。 又、奨学金制度が、実によく整備されており、その奨学金を利用して大学へ進学して行きます。 親が、授業料を支払ったり、生活費を仕送りしたり する事は有りません。 全て、子供の自己責任です。 だから、アメリカでは、子供が10人いて、10人とも大学まで行かせても、親が、子供の教育に金を使う事は有りません。 子供の方も、18才になってからは、家から出て独立して生活し始めます。自分でメシを食うわけで、大学四年間の間に大きく成長して行きます。
[2] しっかり勉強して卒業する: アメリカの大学では、卒業までに40冊密に勉強します。それゆえ、大卒と高卒では、おのずと能力に差が出来る訳で、大学を卒業すれば、より給料の高い正規の職に付く事が出来ます。 ですから、大学の卒業証書は、アメリカでは大きな意味が有るわけです。 それに比べ、日本の大学生は、二十歳前後と言って、 人生何をやっても一番身につく時に、 しかも、一番勉強しなければいけない時に 遊んで過しております。 高い授業料を支払って、四年間遊んで過している。
[3] 中学・高校の復習のクラスが有る: アメリカの大学では、中学や高校の復習のクラスも用意されています。 ですから、学生に限らず何年も教室から遠ざっかていた一般社会人や老人でも、学問を再開できるわけです。 そのために、夜間や週末さかんに授業が行われています。 人々は、就職後も大学へ通ってより高い知識や資格、 又、新技術(コンピュータ等)を修得し、新しい職場へと移って行きます。
[4] 出来ない学生でも 良く解(わか)る教科書が有る: 日本の大学とアメリカの大学を比較した場合、 一番違う所は 何かと言うと、それは教科書だと思います。 日本の教科書は、わかる人が予習復習をし、授業にまじめに主席して 初めて解る教科書です。 それに比べて、アメリカの教科書は、わからない人が 一人で読んで解る様にと、懇切丁寧(こんせつ ていねい)に書いてあります。 だから、だれが読んでも良くわかる訳です。また、図書館に行けば自分のレベルにあった本が何冊も本棚においてあります。 だから、アメリカの高等教育は、どの分野でも、何も知らない者が一から始めて大学院博士課程まで独学が出来るシステムになっています。 こうした すばらしいシステムを 是非 日本にも取り入れるべきです。
国立大学は、入試を廃止すべきです。そうすれば、塾通いもなくなり、子供達をもっと明るく、もっと伸び伸びと育ててやることが出来ます。そうすれば、イジメや不登校も無くなります。 国立大学は、我々の税金で成り立っているのですから、アメリカの大学の様にに、だれでも行って自由に勉強できる庶民のための庶民の教育の場にすべきです。
フリーターをやってその日暮らしをしている若者達にも、大学教育の道を開いてやるべきです。 ニートの若者にも大学教育のチャンスを与えてやるべきです。また、一般国民の知識が向上することは社会の安定と繁栄につながり、どんなにすばらしい国が形成されるかわかりません。
『国家百年の体系は教育に有り』と言います。豊かな国造りの基盤は、小中高校を通じての人間教育と、真に大きく学ぶ大学教育であります。そのためには、まず弊害ばかりの入試制度を廃止しなければいけないと確信するところです。
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以上です。 このチラシは、殆(ほとん)ど読まれる事は有りませんでした。 みんなゴミ箱に捨てられた。 それでも、 読んだ人は感動した。 『 中村さん、あんたは “一石を投じる”ワイ。。。』と、街中(まちなか)で言われた事も有りました。
[ 写 真 拡大可: “ これからは、 インターネットの時代がやってくるんだ。 ” ] 同じく、講義の様子。 この頃は、まだ、やっと、コンピュータが社会に知れて来た と言う頃で、もちろん、 ウインドウズ とか、インターネットは、無かった。 携帯電話など、有りはしない。 ここに居る学生でも、コンピュータを持っている者は、誰も居なかった。 その中で、文ソクは、「 これからは、こんな時代がやって来るんだ。」と、 言って、インターネット の 話しをしていた。 “ メールのやり取り ”の事 を、 学生達に講義をしていた。 ある時、文ソクは、自分の二つ折りの財布を ポケットから取り出して、「 これが、電話機に 成るんだ。 そして、コンピュータになるんだ。飛行機の切符の予約は、これで する様に なるんだ。 メールのやり取りをする様になるんだ。」と、話をしていた。 学生達は、半信半疑。 文ソクが、「 君は、信じるか?」と きくと、みんな「 No, I don‘t.( いいや、 信じない。 )
」だった。 その彼らが、 今、 ニューヨークの当たりで スマート・フォン を使っている。
[ 解 説 ] 私がニューヨークに居た頃、自動車で一時間ほどで行ける範囲に、州立の短期大学が3校有りました。私は、入試廃止と言っているけど、その一つの大きな目標は、アメリカに有る様な州立の短期大学のネットワークを、この国に作り事です。-----
[1] 全米に張り巡らされた 州立 短期大学のネット・ワーク: カリフォルニアへ行けば、州立の短期大学が百の数で有ります。 だから、カリフォルニアのどんな小さな町へ行っても、近くに州立の短期大学や その分校が有る訳です。
これを、広島に例(たと)えるならば、広島市の近くに可部(かべ)と言う町が有ります。 その近くには、 加計(かけ)と言う小さな町が有ります。 そして、仮に、可部に 広島県立可部短期大学が有るとすれば、加計に、加計分校が 有る様なものです。
この 州立の短期大学は、市民の教育と職業訓練を目的として作られており、その州立短期大学のネットワークが、全米各地の小さな町や村にまで 張り巡らされています。この制度を日本の国に作るんです。
アメリカは、グアム島にも、大学院まで有るグアム大学のほか、島民の教育と職業訓練を目的としたグアム短期大学を作っております。又、南太平洋に浮かぶトラック島(元アメリカ領)にさえ、公立の短期大学を作っております。 これらの短期大学を卒業すれば、 アメリカ本土に有る大学(例えば、カリフォルニア大学)の3年生に編入して行く事が出来ます。 単位が認められるからです。
これを日本に例えるならば、八丈島に4年制の国立八丈島大学と八丈島短期大学を作り、台湾の近くの宮古島に 国立の宮古島短期大学を作るのと同じです。 そこまで、彼らは、高等教育に対して熱心です。 この事が、アメリカの、国力の源泉に成っています。
[2] 充実(じゅうじつ)した州立短期大学: 短期大学とは 言っても、設備は十分に整っております。そして、その授業の内容は、ハーバード大学の1年生2年生で習う事も、短期大学で習う事も変わりません。同じです。使用する教科書が同じです。又、短期大学は、研究を伴いません。(四年生の大学では、先生方は、教えると同時に、自分の専門分野の研究を行います。)ですから、短期大学の先生方は、教える事にエネルギーを集中する訳です。私の体験では、短期大学で履修(りしゅう: コールを取る事)したコースが、一番充実して内容が濃かった事を、今でも良く覚えております。 だから、短期大学と言ってバカにしてはいけない。州立の短期大学と言うのは立派な大学です。そして、修得した単位は全米で認められます。 たとえば、何年も学業から遠ざかっていた人が、他の州へ行って近くの大学で学問を再開しようとすれば、以前、取った短期大学の単位が、そのまま認められる訳です。
[3] 安い州立短期大学の授業料: 授業料も、市民が気軽に行ける程度に設定されています。例えば、正規の学生であれば、一学期、四教科履修します。 そして、授業料が$150/月であれば、一教科だけなら、授業料はその1/4になります。 だから、コンビ二でアルバイトをして生活費を稼ぎながら、一学期に、二教科づつ履修して短期大学へ通う事が出来きる訳です。又、奨学金(返済しなくて良い)や、学生ローンの制度も充実しています。だから、どんな貧乏な若者でも、大学教育をスタートする事が出来ます。 短期大学から始める事が出来ます。 そして、短期大学を卒業すれば、四年制の大学へ編入して行く事が出来ます。
私は、入試廃止運動をやっていますが、その一つの大きな目標は、日本の国に、アメリカに有る様な州立の短期大学のネットワークを作ると言う事です。即ち、市民の教育と職業訓練を目的とした公立の短期大学のネットワークを、この国全土に張り巡らすと言う事です。
[4] 狂った日本の大学教育: 日本には、専門学校が氾濫(はんらん)しています。それは、大学が機能していないからです。若者達は、高い授業料を支払って専門学校へ行く訳ですが、それは単位として認められる事は有りません。又、アメリカでは、短期大学の先生になるには、それ相応の資格と学歴が無いとなれません。さらに、教える事が出来ない先生は大学に留まる事は出来ません。専門学校では、どうでしょうか?
日本の国の教育は狂っています。 大学入試と言って若者を“ふるい”に掛ける。 そして、入学した若者は、ホッタラカシにされる。 二十歳前後と言って人生何をやっても一番身に付く 時に、しかも、大学教育と言って、一番大切で、一番勉強しなければいけない時にホッタラカシに されている。 大学時代、四年間、一生懸命勉強するのと しないのとでは、その若者の それかの人生が大きく変わって行きます。それを、“バカは ほっといて”と言って、四年間ホッタラカシにする。しかも、高い入学金や授業料を抜き取って。。。 その意味では、日本の大学と言うのは、オレオレ詐欺よりも もっと悪質で悪い。(オレオレ詐欺は、金を抜き取るだけ。) 片や、大学へ入学出来なかった若者には、何の選択肢(し)も用意しておりません。彼らに出来る事と言えば、専門学校へ行くぐらいしか道は有りません。そして、フリーターになり派遣社員になって、資本主義の食い物にされる。ヤケクソになるのは、当たり前です。「暴走族でも やったろうか。。。」と、そうなるワ。
入試と言って、所詮、東京大学を中心とした、官僚制度を作る為の道具じゃあ ないですか。 世界では、入試はやっておりません。日本の国も、入試を廃止して、人間性を大切にした新しい制度を作って行かなくては いけません。 資本主義から人間主義へ
[ 写 真 拡大可: “ よっしゃ、、、撮ってくれ 。。。 サン・キュー ” ] 講義が終わった時の様子。 学生達が、寄って来て 文ソクが、持って来た資料などを チェックしている。 写真を撮って くれていた学生が、「Hey, Boone...( ヘイ、ブン )」と 呼んで、それに 手を上げて 答えたところ。 この コンピュータ・サイエンス 入門 のクラスでは、コンピュータ 全体の事を 教ていた。 例えば、歴史の講義の時は、“ そろばん ”の 当たりから始めて、中世 ヨーロッパの 計算機から、 第二次世界大戦の前後に生まれた、近代コンピュータの様子から、今日のパソコンまで。そして、これから、先、どの様になって行くかなど、話をしていた。 その歴史の事から始まって、コンピュータの中身、コンピュータ自体が どの様に 動いているのか 等を、 なるべく分りやすく、一般学生に分るようにと、いろいろ工夫して 講義をしていた。 授業は、講義が半分、そして、コンピュータ・ルームで、パソコンをつつくのが半分だった。 ワードや エクセルの原型が有って、「 これじゃ、これじゃ、、、これからは、この時代じゃ。。。」と言って、教えていた。
―― 難しくしては いけない ――
《 難しくしては いけない。 学生は、しっかり 導いてやらないと。。。 一年生の時には、このクラスを取り、二年生に成ったら、すこし上級のクラスを取る。 そして、三年生 四年生で、上級のクラスを取って、しっかり学問を身に付けて卒業して行く。 これが教育です。 導いて やらなかったら、 教えて やらなかっ
たら、いくらでも難しくなります。 それは、教育では ありません。 》
4. 若者を切り捨てる社会が どおなる
[ 解 説 ] 私が、以前、ニューヨークに居た頃、日本に帰って来て、コンビニへ行く度に思うことが有りました。それは、そこで働く若者達です。彼らは、5年経っても、10年経っても低賃金の下働き。アメリカであれば、みんな、大学へ行く事が出来ます。短期大学から始める事が出来る。そして、明日への希望を持って生きて行く事が出来ます。頑張る事が出来る。「アメリカであればな~~ 」と、よく思いました。 何とかしてやりたかった。それが、私が、この運動を始める様になったキッカケです。
若者達の為に、何とかしてやりたい。。。
それが、今でも、私を動かせて行く、そして、自転車を押して 歩かせて行く 原動力になっております。 -----
[1] ギロチン制度を導入した日本: 日本には、以前は、終身雇用制度や年功序列 ( 歳を取るにしたがって給料が増えて行く ) 制度が有ました。 それは、日本古来から有る互助 ( お互いに助け合って、和気あいあいとやって行く ) の考え方に由来した 日本独特の制度でありました。 ところが近年になって、経営の高率化とか国際競争の為にとか、そんな ヘリクツを打ち立て、アメリカから資本主義の心髄(ずい)である「非正規雇用」や「派遣社員制度」を導入して来ました。 「 アメリカでやっているんだ。だから、日本でもやる。」と言って導入して来ました。 その結果、日本古来から有った互助の精神に基ずく終身雇用制度や年功序列制度が崩れてしまった。 そして、町には非正規労働や派遣社員が増え、若者達は、食って行くのが精一杯。四苦八苦している。加えて、 「 派遣切り」と言う ギロチン制度まで導入した。 「 アメリカでやっているから」と言って、やった。
[2] サービス残業の無いアメリカ: ところが、アメリカに有る、非正規雇用や派遣社員制度に平行して有る、労働者を助ける為の制度は導入しなかった。 たとえば、アメリカには、サービス残業は有りません。 就業時間が9AMから5PMであれば、5PMになれば皆仕事をやめて帰ります。 アメリカの銀行は、5PMが閉店です。 だから、5時5分に銀行へ行けば、銀行の中は、もぬけの殻(から)で誰も居ない。 日本の銀行では、夜7時になっても8時になっても行員が働いています。 それは、みなサービス残業。 要は、従業員を増やしたら良い訳です。そしたら、皆5時に帰れる様になる。 「 アメリカでやっているんだ、だから、日本でもやれ。」です。
[3] アルバイトをするアメリカの正社員達: アメリカでは、正規の職のほかにアルバイトをすると言う事が頻繁に行われています。たとえば、銀行は、5PMに閉店するから、行員が6PMから10PMまで市の図書館で週3日働く。そして、土曜日は、病院で経理の仕事をする と言った具ワイです。 こうすれば、年収が100万円ぐらい増える訳です。 日本では、正社員がアルバイトをする事は禁じられています。もし見つかったら、首になる。 これでは、労働者は、自分の年収を増やす事は 出来ません。
アルバイト禁止やサービス残業は、終身雇用や年功序列制度が有った時は、納得できる所が有ったかも知れません。 しかし、その互助制度が崩れた今、そしてアメリカの経営方式を取り入れた今、アルバイト禁止やサービス残業は、止めないといけない。 「 アメリカでやっているんだ。だから、日本でもやれ。」です。
[4] 労働者に開かれたアメリカの大学: 日本の労働環境とアメリカの労働環境には、決定的な違いが有ります。 それは、アメリカには、開かれた大学が有ると言う事です。 たとえば、銀行の窓口で働く行員が、年収を増やしたいと思えば、大学へ行くと言う選択肢が有ります。 アメリカの大学は、夜盛んに授業が行われています。 銀行は、5PMに閉店になるから、6PMから大学へ行く事が出来る。 そして、たとえばMBA ( 商業学の大学院。2年ほどの課程)を取得して、より高収入な、新しい職へと移っていくことが出来ます。 又、たとえば、高等学校を卒業してフリーターや派遣社員を転々とした若者が、30才になって派遣切りにあったった場合、 「 これでは自分の人生が成り立って行かない。」と考えれば、常に、大学へ行くと言うチョイスが有ります。 そして、短期大学から始める事が出来る。 どんな貧乏な若者でも、大学へ行ける と言う制度が整っているからです。 そして、導いてくれるます。 日本では、派遣切りにあった若者は、職安へ行って新しい職を探すしか道は有りません。 職を探すと言っても、それは、又、低賃金で不安定な派遣やフリーターの仕事である訳です。 年収180万円だった若者が、次は、安定した年収300万円の職につく事は有りません。
アメリカは、資本主義の国です。能力主義の国です。 しかし、アメリカには、庶民に開かれた大学が有ります。 老若男女、だれでも、大学へ行って新しい知識や資格を得て、自分の生活をステップ・アップ ( 一段上げる)する事が出来ます。その選択肢が有ります。 日本では、大企業は、270兆円とか言われる内部留保(溜めた金)を作っていると言います。 そして、 安倍ノミックス第3の矢: 規制緩和(かんわ) と言うのは、その、巨額の金を溜めている、 要するに、
「 資本主義と言う凶悪なブルドッグの首輪を外し、手綱を解いて 野に放つ」
と言う事で、(さくしゅ: 労働者を安い賃金で、こき使う事)が
若者を 食い物にし、切り捨てる、、、
--- そんな社会が どうなるか。
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